桑名正博の真実|莫大な遺産とニセ息子騒動の結末、早すぎた死因

桑名正博の真実|莫大な遺産とニセ息子騒動の結末、早すぎた死因

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桑名正博というミュージシャンの特異性を理解する上で、避けて通れないのがその特異な出自と生い立ちである。彼の生家は江戸時代から大阪港を拠点に栄えた名門の廻船問屋「桑名興業」であり、桑名正博はその7代目として生を受けた。港湾荷役、建設業、倉庫業などを幅広く展開し、全盛期にはゴルフ場も経営していた実家は、大阪でも指折りの資産家一族として知られていた。門閥とも呼べる名家でありながら、桑名自身は敷かれたレールを拒み、泥臭いロックとブルースの世界へと身を投じる道を選んだ。

桑名正博の若い頃は、まさに昭和の破天荒なロックカルチャーを体現するようなエピソードに満ちている。10代半ばからアメリカ軍キャンプやクラブで演奏活動を始め、1970年の大阪万博の熱気の中で青春を駆け抜けた。インタビュアー・吉田豪氏の著作『人間コク宝』(コアマガジン)のロングインタビューにおいて桑名自身が回顧したところによると、当時結成していたバンド「ファニー・カンパニー(通称ファニカン)」の周辺は極めてアナーキーであり、万博のパビリオンで開かれた夜ごとのパーティーなど、常識外れの荒波に揉まれながら独自の音楽性を研ぎ澄ましていったという。

1972年にファニー・カンパニーとしてプロデビューを果たした後は、「西のファニカン、東のキャロル」と並び称され、矢沢永吉らとともに黎明期の日本語ロック界を牽引した。商業的な成功路線をひた走っていた沢田研二や西城秀樹といった同世代のトップアイドル・ボーカリストたちとは一線を画し、桑名は自らの美学を貫くアンチヒーローとしての立ち位置を崩さなかった。しかし、その圧倒的な声量と天性のグルーヴ感は、歌謡界や音楽プロデューサーたちからも常に別格の評価を受けていたのである。

阿部 裕樹
著者

阿部 裕樹

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。