1915年、神戸の銀座と呼ばれたハイカラな街に生まれた彼は、早くから演劇の世界へ身を投じた。戦後、大手映画会社である松竹に所属しながらも、会社の意向に縛られるスターシステムには決して馴染まなかった。美男美女がスクリーンの中央でスポットライトを浴びる時代にあって、彼が演じたのは市井の片隅で泥にまみれて生きる名もなき人々や、滑稽でどこか物悲しい小悪党ばかりだった。
巨大スタジオの安定したレールを蹴り飛ばし、仲間とともに立ち上げたのが独立プロダクションの草分け「近代映画協会」である。安定よりも表現の自由を選び取ったこの決断こそが、彼を単なるバイプレイヤーから、日本映画史に唯一無二の爪痕を残す怪優へと押し上げる分岐点となった。