お笑い界の歴史において、コント赤信号が果たした役割は単なる「人気トリオ」にとどまりません。現場の劇場文化や後進の芸人たちに与えた影響は計り知れないものがあります。
その筆頭が、渡辺正行が1986年から渋谷のライブハウスで開催し続けている「ラ・ママ新人コント大会」です。テレビ東京の『お笑いスター誕生!!』や劇場の衰退期において、若手が腕を試す場所が激減していた時代、渡辺は私財を投じる覚悟で若手発掘の場を作り上げました。ここから爆笑問題、バナナマン、くりぃむしちゅー(旧海砂利水魚)、オードリーなど、平成・令和のトップランナーたちが巣立っていきました。
また、ラサール石井と小宮孝泰が切り拓いた「コント芸人が演劇界で本格的な評価を得る」というルートは、現代の東京03やシソンヌといったコント職人たちが演劇界とシームレスに行き来する土壌の原点となっています。