数あるエピソードの中でも、ネット上で最も語り草となっているのが日生学園 浜田雅功 エピソードと、今田耕司 日生学園 脱走の顛末です。二人がテレビやラジオ、自著で断片的に語ってきた体験談は、誇張抜きの一次資料として今なお凄まじいリアリティを放っています。
中学校時代に素行不良だった浜田氏は、親からの宣告によって三重県の山中にある日生学園第二高等学校(現・青山高等学校)へ送られました。そこは外部との連絡を完全に断たれ、私有物の所持も厳格に制限された超管理社会でした。朝4時に起床し、真冬でも冷水で顔を洗い、全力疾走と大声での合唱が課される過酷な環境のなか、浜田氏は驚異的な適応能力を発揮。最終的には後輩たちを束ねる全校副寮長(副学長と呼ばれる役職)にまで登り詰めました。テレビ番組の特番などで「あの高校生活を経験したから、世の中に怖いものなど何もない」と述懐する姿は、視聴者に強い戦慄と納得感を与えました。
対照的なドラマを残したのが今田耕司氏です。素行を正す名目で全寮制の日生学園へ送り込まれた今田氏は、理不尽極まる上級生からの指導や逃げ場のない集団生活に直面し、精神的な限界を迎えます。ある日、学校の敷地内から決死の覚悟で脱走を敢行。山中を駆け抜け、公衆電話から震える手で実家に助けを求め、最終的に中退を選びました。この「脱走劇」の緊迫感あふれる語り口は、お笑いのエピソードトークとして昇華されつつも、当時の日生学園 全寮制 実態がどれほど過酷を極めていたかを証明する生々しい記録となっています。