徳川吉宗が放った御庭番の正体!忍者との違いと知られざる隠密の真相

徳川吉宗が放った御庭番の正体!忍者との違いと知られざる隠密の真相

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享保元年(1716年)、紀州徳川家から突如として江戸城に入り、八代将軍に就任した徳川吉宗。彼が直面したのは、破綻寸前の幕府財政と、譜代大名や門閥官僚が張り巡らせた強固な既得権益の壁でした。自らの政治改革である「享保の改革」を推し進めるため、吉宗は何よりもまず「側近や幕閣のフィルターを通さない、全国の生きた一次情報」を渇望していたのです。

そこで吉宗は、紀州藩主時代に身辺警護や薬の調合・管理を担っていた腹心の部下「薬込役(くすりこみやく)」ら16名を江戸に呼び寄せました。彼らは最初、大奥の警備を担当する「広敷伊賀者」に配属されましたが、のちに改編され、7名が「御休息御庭締戸番(おきゅうそくおにわしめどばん)」、9名が「伊賀御庭番」へと改称されます。これが世にいう御庭番の起源です。

彼らが詰め所としたのが、江戸城本丸の庭園に面した「御庭番所」でした。表向きの職務は「庭園の手入れ」および「奥向き(プライベート空間)の警備」という目立たない雑務。しかしその裏で、吉宗から「御側御用取次(おそばごようとりつぎ)」を通じて直接下される八代将軍吉宗の密命を受け、諸国へと潜入する情報ネットワークが構築されていきました。

松本 悠斗
著者

松本 悠斗

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。