御主殿の滝を語る上で避けて通れないのが、「城山川の水が三日三晩、血で赤く染まった」という苛烈な言い伝えです。下流の麓の村人たちは、赤く染まった川水を見て落城を知り、その水で炊いたご飯まで赤く染まったことから、供養のために赤飯を炊く風習が生まれたという伝承まで残されています。
この伝説の発端となったのは、天正18年(1590年)6月23日に繰り広げられた八王子城の攻防戦です。城主である北条氏照が小田原城本隊の防衛に詰めて不在の中、豊臣方の前田利家・上杉景勝率いる1万5000人超の大軍が八王子城を急襲。わずか千数百人余りの守備兵しかいなかった城は、わずか半日で壊滅状態に追い込まれました。
追い詰められた城内の女性や子供、残存兵たちは、敵の手にかかる屈辱を避けるため、御主殿の滝の上流にあった崖から次々と自刃して身を投じました。折り重なる遺体から流れ出た血が滝を真っ赤に染め上げたという光景が、後世に「血の滝伝説」として語り継がれる契機となったのです。