戦場のピアニスト実話の真相|救世主ホーゼンフェルトの壮絶な結末

戦場のピアニスト実話の真相|救世主ホーゼンフェルトの壮絶な結末

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シュピルマンを射殺することなく、屋根裏の隠れ家にパンやジャム、缶切りを運び続けて命を救ったドイツ将校。彼の名はヴィルム・ホーゼンフェルト大尉です。

ホーゼンフェルトはナチス党員でありながら、敬虔なカトリック信徒としての倫理観を持ち、ナチスのユダヤ人虐殺や暴虐に対して激しい嫌悪と恥辱を抱いていました。彼が救ったのはシュピルマン一人にとどまらず、偽造身分証の発行や自身の管理するスポーツ施設での雇用を通じて、複数のポーランド人やユダヤ人を密かに保護していた事実が残された日記から判明しています。

しかし、終戦を迎えた彼を待ち受けていたのは、あまりにも過酷な悲劇でした。

1945年1月、撤退中にソ連軍の捕虜となったホーゼンフェルトは、戦犯容疑をかけられ軍事裁判で25年の強制重労働刑を言い渡されます。シュピルマンは彼の身元を割り出し、ポーランド当局やソ連高官に対して「自分を救ってくれた恩人である」と必死の助命嘆願を行いましたが、冷戦初期のスターリン体制下においてその叫びは冷酷に握りつぶされました。

ホーゼンフェルトはスターリングラード近郊の過酷な捕虜収容所で繰り返される尋問と拷問を受け、複数回の脳卒中を発症。心身ともにボロボロになり、精神の均衡を失った末、1952年8月に収容所内の病院で57年の生涯を閉じました。映画のラストテロップで簡潔に示された「ソ連の捕虜収容所で死亡」という一文の裏には、7年間に及ぶ過酷な地獄が存在していたのです。

没後、ホーゼンフェルトの名誉回復には長い年月を要しました。シュピルマンの遺族や救出された生存者たちの長年の働きかけが実を結び、2008年になってイスラエルのヤド・ヴァシェム(ホロコースト記念館)より「諸国民の中の正義の人」の称号が授与され、ポーランド政府からも勲章が追贈されました。

池田 達也
著者

池田 達也

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。