読者の誰もが抱く疑問、「なぜ兵十は撃ってしまったのか」。そして、あの悲哀に満ちた結末の真相には、心理学的なコミュニケーションのすれ違いが明確に横たわっています。
兵十の立場から見れば、かつて母親の命をつなぐはずだった大切なウナギを盗まれた苦い経験があります。狐は農作物や家畜を荒らす害獣であり、家に忍び込んできたのを目撃した瞬間、「また盗みに来た」と条件反射的に判断してしまうのは、生活防衛の観点から極めて自然な反応でした。兵十には、ごんが改心しているなどという予備情報は一切ありません。
一方、ごんの側にも致命的な問題がありました。直接言葉を交わして謝罪することを恐れ、「影ながら贈り物を届ける」という一方的な自己完結型の償いを選択してしまった点です。相手に意図を伝えない善意は、時に脅威や怪異としてしか受け取られません。双方向の対話を持たない関係性の危うさが、火縄銃の引き金を引かせるという最悪の悲劇を招いてしまったのです。