日本の財閥は解体後どうなった?最新序列と六大企業集団の真実

日本の財閥は解体後どうなった?最新序列と六大企業集団の真実

日本の財閥は解体後どうなった?最新序列と六大企業集団の真実とは一体何なのか? 詳しい意味を丁寧に紐解いて紹介します。

明治維新から第二次世界大戦終結に至るまで、日本経済の骨格を築き上げたのが日本の財閥一覧の頂点に立つ「四大財閥」(三菱・三井・住友・安田)でした。本所(本社)と呼ばれる持株会社を頂点に、創業家一族がピラミッド型に傘下企業を支配するコンツェルン形態をとり、金融、鉱山、造船、商事など基幹産業をことごとく独占していました。

1945年8月の敗戦後、GHQが最優先で着手したのが「財閥解体の理由と歴史」の起点となる軍国主義の経済的基盤の解体です。GHQは財閥の独占的支配が軍部の暴走を支えたとみなし、持株会社整理委員会を設置。創業家一族の資産凍結と追放、持株会社の強制解散、傘下企業数千社の株式公開、さらには三菱商事や三井物産などの大商社を数百社へ細分化する徹底的な解体命令を下しました。

しかし、この完全解体は思わぬ国際情勢の変化によって軌道修正を迫られます。1950年に勃発した朝鮮戦争と冷戦構造の激化に伴い、アメリカは日本を「反共の防波堤」として急速に経済復興させる方針へと転換(いわゆる逆コース)。独占禁止法の緩和を背景に、バラバラにされた旧財閥系企業はメインバンクを中心とした「株式の相互持ち合い」という新たな防壁を築き、旧商社や重厚長大企業を次々と再統合していきました。

中でも安田財閥の解体とその後は特徴的です。金融特化型だった安田は、中核の安田銀行が富士銀行へと改称し、有力メーカーを持たなかった弱点を補うために日立製作所や日産自動車、日本鋼管などを巻き込んで「芙蓉(ふよう)グループ」を形成しました。家族支配のコンツェルンから、銀行・商社・メーカーが対等に連携する「緩やかな企業集団」へと脱皮を遂げたのです。

小林 直樹
著者

小林 直樹

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。