街にあふれていたカラーギャングが急速に衰退した背景には、凄惨な抗争事件の連続と、それを受けた警察当局の徹底的な壊滅作戦がありました。
2000年代初頭、東京の池袋西口公園や大田区、多摩地区、さらには地方都市において、対立する色のメンバーに対する集団リンチやナイフを用いた刃傷事件が頻発しました。単なる少年同士の喧嘩の領域を逸脱し、重傷者や死亡者を出す重大事件に発展したことで、治安当局は「街頭犯罪対策」「少年不良グループ対策」の最重要ターゲットとしてカラーギャングを位置づけました。
決定打となったのは、以下の構造的変化です。
- 街頭監視の強化と一斉摘発:主要駅周辺への防犯カメラの大量設置と、機動隊・生活安全部による一斉補導・職務質問の徹底により、カラーを掲げて集結すること自体が不可能になりました。
- 少年法の改正(2000年・2007年):刑事処分の対象年齢引き下げや厳罰化が進み、未成年であっても実刑を含む重い処分が下されるようになりました。
- チーム幹部の逮捕と内部分裂:リーダー層が相次いで少年院収容や刑事罰を受けたことで組織統制が崩壊し、末端メンバーの離脱が相次ぎました。
当時の特番インタビューや自著・手記において、ある元リーダーは「街頭でバンダナを巻いているだけで即座に警察に囲まれ、チームとしての体面も維持できなくなった。抗争のリスクに対して得られるものが何一つなくなった」と述懐しています。