山谷が簡易宿所の集積地となった起源は江戸時代にまで遡ります。日光街道の宿場町として木賃宿(格安の宿)が並んでいたことや、近隣に小塚原刑場が存在した歴史的背景から、社会的に周縁化された人々を受け入れる土壌がありました。
戦後の高度経済成長期を迎えると、東京のインフラ整備や東京オリンピック(1964年)関連の建設需要を支えるため、全国から膨大な数の日雇い労働者が山谷へ流入しました。当時の街には「宿(ヤド)」を逆さにして自嘲気味に呼んだ「ドヤ」と呼ばれる簡易宿泊所がひしめき合い、早朝の労働市場(寄せ場)には求人看板と仕事を求める男たちの怒号が飛び交っていました。
過酷な労働環境や手配師・暴力団の介入、警察への不満などが引き金となり、1960年代から1990年頃にかけては数十回に及ぶ「山谷暴動」が発生しました。投石や放火、警察署の包囲など凄惨な衝突が繰り返されたことで、メディアを通じて「山谷=危険地帯」という強烈なパブリックイメージが全国に定着することになりました。