ネット上の掲示板やSNSでは、「ラストエンペラー愛新覚羅溥儀が晩年にチキンラーメンを食べてその手軽さに驚嘆した」「日本の関係者から差し入れられて喜んだ」といった記述が散見されます。この話が妙な説得力を持って拡散された最大の理由は、両者が生きた時代のタイムラインが絶妙に重なっている点にあります。
安藤百福が大阪府池田市の自宅裏庭に建てた小屋でチキンラーメンを完成させたのは1958年(昭和33年)8月のことでした。一方の溥儀は、第二次世界大戦後のソ連抑留を経て中国・撫順戦犯管理所に収容された後、1959年12月に特赦によって釈放され、北京で一市民(植物園の庭師や全国政協委員)としての晩年を過ごしています。
溥儀が北京で逝去したのは1967年10月であり、チキンラーメンが日本で爆発的なヒットを記録し、世界へ普及し始めた時期と完全に並行していました。この同時代性が、「晩年の溥儀の元に日本の画期的な即席麺が届いていたのではないか」という人々の想像力を強く刺激した要因です。