組織の解散によって最も過酷な現実に直面したのは、不祥事とは無関係に日々練習へ打ち込んでいた無実の学生たちでした。約120名在籍していた日本大学フェニックスの部員たちのその後は、苦渋の決断の連続でした。
競技の継続を強く望んだ選手の一部は、他大学への編入や転籍という異例の選択肢を取りました。法政大学や立教大学、さらには関西圏の強豪大学への移籍を目指した部員もいましたが、単位互換や競技連盟の移籍規程の壁に阻まれるケースも少なくありませんでした。
一方、大学に残った最上級生や卒業生の中には、社会人トップリーグ「Xリーグ」(富士通フロンティアーズ、オービックシーガルズ、東京ガスクリエイターズなど)のトライアウトに挑戦し、実力でロスター入りを勝ち取った選手も複数存在します。就職活動においても「日大アメフト部出身」という経歴に対して一時期は厳しい視線が注がれましたが、個人の誠実さと高い競技スキルを評価して採用を決めた企業も多く、選手個々はそれぞれのフィールドで懸命に名誉回復を図っています。