水谷豊の娘・趣里の現在|バレエ挫折から朝ドラ経て掴んだ実力派の地位

水谷豊の娘・趣里の現在|バレエ挫折から朝ドラ経て掴んだ実力派の地位

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華やかに見える経歴の裏には、10代前半で経験した過酷な挫折と深い葛藤が存在します。趣里は4歳から本格的にクラシックバレエを始め、将来は世界的なプロバレリーナになることを夢見ていました。その情熱と才能は本物で、15歳の時にオーディションを経てイギリスのバレエ名門校「Arts Educational School」へ単身留学を果たします。

しかし、本場イギリスでの厳しいレッスン生活の最中、彼女を悲劇が襲います。度重なるハードな練習によって足首の剥離骨折とアキレス腱断裂という選手生命に関わる大怪我を負い、医師から「これ以上プロとして踊り続けることはできない」と非情なドクターストップを告げられたのです。人生のすべてを捧げていた夢を10代で絶たれた彼女は、失意の底で帰国を余儀なくされました。

帰国後、高卒認定試験を受けて大学へ進学するも、心にぽっかりと空いた穴を埋められずにいた趣里を救ったのが「演劇」でした。軽い気持ちで参加した塩屋俊氏主宰の俳優養成所「アクターズクリニック」のレッスンで、彼女はバレエと同様に身体と感情を使って表現する演技の喜びに目覚めます。当時のインタビューで彼女は「バレエを失って真っ暗だった世界に、再び光が差し込んだ瞬間だった」と述懐しています。

ここからの趣里の二世俳優としての経歴は、徹底した下積みとオーディションの連続でした。2011年に『3年B組金八先生ファイナル』で20歳にして中学生役で女優デビューを果たしますが、事務所関係者にも両親の名を伏せて自力で役を勝ち取っていきました。「親の七光り」と呼ばれるプレッシャーを跳ね返すため、小劇場やインディーズ映画で泥臭く演技力を磨き続けた期間が、現在の圧倒的な表現力の土台となっています。

渡辺 美咲
著者

渡辺 美咲

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。