本作への評価は決して一枚岩ではありませんでした。絶賛する熱烈なファンがいる一方で、第1話や第2話の段階で脱落した視聴者や、強い拒否反応を示した層も確実に存在しました。その対立構造を整理すると、主に以下の3つの要因に行き着きます。
第1に、昭和のハラスメント描写に対する生理的忌避感です。市郎が職員室で平然と喫煙し、女子生徒のスカートの丈を直接測ったり、暴言を浴びせたりする導入部は、実際にそうした時代を生き抜いて心に傷を負った人々にとって「笑えないトラウマの再演」と映りました。注意書きテロップ(「このドラマには不適切な表現が含まれますが…」)が毎話工夫されていたものの、「ハラスメントをコメディの免罪符にしている」という批判は一定数根強く残りました。
第2に、毎話中盤に突入するミュージカルシーンへの好悪です。「話し合いましょう」と突如キャスト陣が歌い踊り出す演出は、宮藤官九郎作品特有のナンセンスカルチャーですが、リアルなヒューマンドラマを期待していた層からは「急にテンポが崩れる」「メッセージが説教臭く感じる」と敬遠される要因になりました。対して肯定派からは「重い社会問題をユーモアで包むための最高の装置」として熱烈に支持されました。
第3に、「令和のコンプライアンス」のデフォルメに対する違和感です。ハラスメントを恐れるあまり部下に適切な指導ができない上司、過剰な自粛を強いるテレビ局の描写などが「極端すぎる」「令和をバカにしすぎている」という不満を呼びました。しかし、これらは風刺劇としてのデフォルメであり、物語後半でその「極端さ」の裏にある当事者の怯えや孤独が丁寧にフォローされたことで、最終的には批判派の一部をも納得させる着地を見せました。