歴史を少し巻き戻してみよう。対中援助の引き金となったのは、1978年に訪日した鄧小平が打ち出した「改革開放」路線だった。近代化を急ぐ中国には資金も技術も圧倒的に不足していた。そこに差し伸べられたのが日本の経済援助の手である。
その象徴的なプロジェクトが北京首都国際空港建設事業だ。かつては滑走路も設備も脆弱だった北京の空の玄関口は、日本の対中円借款と技術指導によって国際的なハブ空港へと変貌を遂げた。ほかにも港湾整備や鉄道の電化、製鉄所の建設など、中国のインフラの土台は日本の資金で築かれたと言っても過言ではない。
当時の日本側には、中国の安定と経済発展が東アジア全体の平和につながるという強い計算があった。中国政府もまた、日本の援助を経済復興の命綱として高く評価していた時代だ。