1985年(昭和60年)8月12日午後6時56分、羽田発伊丹行きの日本航空123便(ボーイング747SR-100、機体記号JA8119)が群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称・御巣鷹の尾根)に墜落しました。乗員乗客524名中520名が死亡、奇跡的に救出されたのはわずか4名。単独機事故としては航空史上最悪の死者数を記録したこの惨劇は、日本社会を根底から揺るがしました。
当時の運輸省航空事故調査委員会の報告書によると、事故の直接的な引き金となったのは機体後部の「後部圧力隔壁」の損壊でした。1978年に伊丹空港で発生した同機の「しりもち事故」において、製造元である米ボーイング社による修理作業に重大なミス(リベット列の接続不良)が存在し、飛行ごとの客室加圧によって金属疲労亀裂が進行。運命の8月12日、相模湾上空を巡航上昇中に隔壁が吹き飛び、高圧空気が尾部を破壊しました。この結果、垂直尾翼の大半が失われ、4系統あった操縦用油圧管(ハイドロリック・システム)が全て破断したのです。
操縦桿の手応えを完全に失い、方向舵も昇降舵も作動しない絶望的な状況下で、運航乗務員は左右のエンジン出力を微妙に調節しながら、機体が左右に揺れながら上下動を繰り返すダッチロールとフゴイド運動に抗い続けました。交信記録(CVR)に残された「あたま下げろ」「パワー」「山だ」という緊迫した叫びは、32分間にも及んだ凄絶な闘いを今に伝えています。
日本航空はこの深い反省と不戦の誓いとして、毎年8月12日を「安全の日」と定めました。また、民間航空全体としても惨劇を二度と繰り返さないための道標として「航空安全の日」(別名:茜雲忌)が制定されています。単なるカレンダー上の記念日ではなく、安全工学や企業統治(ガバナンス)における「安全最優先」の原点として、航空業界関係者の胸に刻まれ続けています。