なぜここまで「松本潤の加齢」は過剰に消費され、誤解を生んでしまったのでしょうか。そこには、日本の芸能界特有の構造と、ハリウッドとの美意識の違いという盲点が存在します。
欧米の映画界では、クリスチャン・ベールやロバート・デ・ニーロのように、役柄に合わせて体重を数十キロ増減させたり、容貌を極端に変形させたりする手法(いわゆるデ・ニーロ・アプローチ)は「最高峰のプロフェッショナリズム」として称賛されます。容姿の美しさよりも、作品に対するリアリティが最優先されるからです。
しかし、日本の男性アイドル界画においては、長年にわたり「いつまでも若々しく、美しくあること」が暗黙の契約として求められてきました。特に松本潤のように、美のアイコンとして長年トップを走り続けてきた人物ほど、そのギャップに対する世間のアレルギー反応は強くなります。
松本潤本人は、過去のインタビューにおいて「作品のために自分ができることはすべてやる」と幾度となく語っています。大河ドラマという1年以上に及ぶ過酷な撮影において、家康の若き日の葛藤から晩年の重厚さまでを地続きで表現するためには、自身のパブリックイメージをかなぐり捨てる覚悟が必要でした。世間が「おっさん化」と嘲笑したその姿は、本人があらかじめ計算し、引き受けた「表現者としての代償」だったのです。
さらに、大河終了後の急速な減量プロセスを見ても、専属トレーナーによる綿密な食事管理と過酷なトレーニングが背景にありました。「太ったから戻せなくなった」のではなく、「役のために太り、役のために即座に絞った」。これこそがネットが完全に見落としていた真実です。