当時の映画現場は、現在のような安全基準やインティマシー・コーディネーターの存在など望むべくもない、監督と俳優が剥き出しの人間性をぶつけ合う修羅場でした。関係者の証言や当時のインタビュー資料を検証すると、原田美枝子がいかに過酷な現場を乗り越えてきたかが浮き彫りになります。
『青春の殺人者』のメガホンをとった長谷川和彦監督は、リアリズムを極限まで追求する妥協なき演出スタイルで知られていました。テイク数は何十回にも及び、水谷豊と原田美枝子は肉体的にも精神的にも限界まで追い詰められた状態でカメラの前に立たされました。手記や回顧録によると、濡れ場の撮影現場では張り詰めた緊張感のなか、監督の怒号と役者の情熱が激突していたと記録されています。原田美枝子は恐怖やためらいに押しつぶされることなく、ケイ子という女性の衝動を自身の身体に憑依させ、演じ切りました。
また、巨匠・増村保造監督による『大地の子守歌』では、四国・瀬戸内の厳しいロケ地で泥まみれになりながら、過酷な身売りの運命を背負う少女を体現。当時10代の少女が直面した重圧は計り知れませんが、彼女はカメラの前で怯むことなく、自らの身体を映画のカンバスとして捧げました。この妥協なき覚悟が、1976年度の映画賞を総なめにする快挙へと結実したのです。