2011年当時、政権与党であった民主党は、相次ぐ閣僚の不祥事や震災対応の混乱によって窮地に立たされていた。官邸と各省庁の縦割り行政を打破し、迅速な被災地支援を行うために設置されたのが復興庁の前身となる組織であったが、その司令塔を任されたのが松本氏だった。
当時の内閣府関係者は語る。「当時の民主党政権内では、自民党強い地盤を持つ東北の首長たちとのパイプ作りが急務だった。福岡選出で部落解放同盟の役職も務めた松本氏は、直言を辞さない独特の交渉スタイルを持っていたが、それが行政の官僚主義を打ち破る武器になると期待されていた」。しかし、その強烈な個性が裏目に出て、政権全体の足元をすくう結果となったのは皮肉というほかない。