数々の偉業を成し遂げた八田でしたが、その最期は太平洋戦争の荒波に呑まれる過酷なものでした。
1942年5月、陸軍の要請によりフィリピンの綿作灌漑調査へ赴くため乗船した客船「大洋丸」が、東シナ海で米海軍潜水艦の雷撃を受けて沈没。八田は56歳で命を落としました。遺体は数週間後に山口県沖で発見され、荼毘に付された遺骨は愛する台湾・烏山頭へと戻されました。
そして終戦直後の1945年9月1日、もうひとつの悲劇が訪れます。日本人の引き揚げが進む中、夫を深く敬愛していた妻の外代樹(とよき)は、「夫が心血を注いだダムのそばを離れたくない」という想いを残し、烏山頭ダムの放水口へ身を投げて後を追いました。現在、ダムを見下ろす高台には八田與一の銅像とともに夫婦の墓が寄り添うように建てられており、訪れる人々に夫婦の深い情愛を伝えています。