帰国後の今井氏を襲ったのは、戦場以上の精神的恐怖でした。北海道の実家には1日数百件を超える誹謗中傷の電話が鳴り響き、ポストには「死ね」「国外追放」と書かれた手紙や刃物が投げ込まれました。街を歩けばすれ違いざまに罵声を浴びせられ、メディアの過熱取材から逃れるように部屋に閉じこもる生活が続きました。
当時の手記やインタビューによると、今井氏は重度の対人恐怖症とPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症し、約5年間にわたって「他人の目が怖くて外出できない」「自分が存在してはいけないのではないか」という自己否定の暗闇に囚われていたと明かしています。信じていた社会から完全に拒絶され、孤立無援となった経験が、彼の心に深い傷を残しました。
その暗闇から抜け出す転機となったのは、立命館アジア太平洋大学(APU)への進学と、偏見なく接してくれた周囲の友人たちとの出会いでした。事件のラベルを貼らずに「一人の人間」として対話を重ねてくれた仲間や恩師の存在によって、今井氏は少しずつ人間への信頼を取り戻していきました。大学卒業後は商社勤務などを経験しながら、自身の原体験である「社会的な孤立」に苦しむ人々の力になりたいという想いを強めていきます。