高校野球の長い歴史において、1987年のPL学園ほど完成されたチームは極めて稀です。主将としてチームを牽引した立浪和義氏は、巧みなバットコントロールと堅実無比な遊撃守備でスカウト陣の目を釘付けにしました。同年のドラフト会議では中日ドラゴンズと南海ホークスからドラフト1位指名を受け、競合の末に中日へ入団。高卒1年目からレギュラーを奪取して新人王とゴールデングラブ賞に輝くなど、エリート街道を駆け上がります。
しかし、当時のPL学園の凄みは立浪氏ひとりの突出した才能にとどまりませんでした。クリーンナップを担った片岡篤史氏は長打力と勝負強さを兼ね備えたスラッガーとして名を馳せ、同志社大学を経て日本ハムファイターズへドラフト2位で入団。投手陣に目を向ければ、精密な制球力と鋭い変化球で相手打線を封じた左腕のエース・野村弘樹氏(大洋ホエールズドラフト3位)、さらには140キロ台後半の剛速球で甲子園のスタンドをどよめかせた右腕・橋本清氏(読売ジャイアンツドラフト1位)と、プロの舞台でタイトルを手にする怪腕が2枚も同居していました。
まさに「レジェンドだらけ」と呼ぶにふさわしい陣容であり、個々の実力だけでなく、激戦の甲子園を全勝で駆け抜けた勝負根性は、昭和末期の球界に強烈なインパクトを与えたのです。