五右衛門風呂とは?歴史の真相と底板の踏み方・再注目される理由

五右衛門風呂とは?歴史の真相と底板の踏み方・再注目される理由

五右衛門風呂とは?歴史の真相と底板の踏み方・再注目される理由の背景について、分かりやすい解説を基に徹底解説します。

五右衛門風呂という名のルーツは、安土桃山時代を揺るがした天下の大盗賊・石川五右衛門(いしかわごえもん)の最期にあります。文禄3年(1594年)、豊臣秀吉の命によって捕縛された五右衛門は、京都・三条河原において配下の者たちとともに公開処刑に処されました。その処刑方法こそが、巨大な釜に油を煮えたぎらせて罪人を沈める「釜茹で(かまゆで)の刑」でした。

当時の記録文書や後世の歌舞伎狂言『楼門五三桐(さんもんごさんのきり)』などの演目を通じて、この凄惨な処刑シーンは人々の脳裏に強烈に焼き付きました。江戸時代後期になり、釜を直接火にかけて湯を沸かす構造の風呂が庶民の間に広まり始めると、その鉄釜の形状と直火で下から焚き上げる様子が五右衛門の処刑釜を連想させたことから、俗称として「五右衛門風呂」と呼ばれるようになったと伝えられています。

なお、歴史民俗学的な検証を行うと、現在知られる五右衛門風呂には主に2つの系統が存在します。下部だけでなく浴槽全体が金属でできている「全鉄製五右衛門風呂」と、底部の釜(平釜)の上に木製の樽や桶を乗せて漆喰などで隙間を埋めた「長州風呂(ちょうしゅうぶろ)」です。特に西日本を中心に普及した長州風呂は、木肌の柔らかな感触と鉄釜の熱効率を融合させた生活の知恵であり、どちらも「直火で底から沸かす風呂」の総称として五右衛門風呂の名で親しまれてきました。

林 結菜
著者

林 結菜

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。