五七の桐と五三の桐の違いとは?政府紋章の歴史と一般使用の真相

五七の桐と五三の桐の違いとは?政府紋章の歴史と一般使用の真相

五七の桐と五三の桐の違いとは?政府紋章の歴史と一般使用の真相の真相や最新動向に迫る! わかりやすい言葉でまとめました。

そもそも、植物の桐がなぜ日本政府や首相を象徴する意匠になったのでしょうか。その起源は平安時代初期の皇室にまで遡ります。古代中国の伝説において、桐は「徳の高い天子が現れたときに飛来する霊鳥・鳳凰が唯一止まる神木」と尊ばれていました。この故事に倣い、嵯峨天皇の御代(9世紀初頭)以降、皇室では桐が瑞祥をもたらす植物として愛好され、やがて「菊花紋(十六八重表菊)」に次ぐ名誉ある副紋として定着していきます。

中世に入ると、桐紋は皇室から国家の最高権力者へ与えられる「最高峰の栄誉」へと変貌を遂げます。足利幕府を開いた足利尊氏が後醍醐天皇から賜ったことを契機に、武家社会における桐紋の価値は沸騰しました。そして、このシステムを最大限に政治利用したのが天下人・豊臣秀吉です。

織田信長を経て朝廷から五七桐花紋を賜った秀吉は、これを自らの権力基盤の象徴として誇示しました。秀吉の独創性は、自らアレンジを加えた「太閤桐」を編み出すに留まらず、徳川家康、前田利家、毛利輝元といった有力大名たちに桐紋を次々と下賜した点にあります。恩賞として桐紋をばら撒くことで、諸大名を自らの権威の下に組み込む高度な統治戦略でした。

明治維新を迎えると、新政府は国家のアイデンティティ確立を迫られます。1869年(明治2年)の太政官布告によって菊花紋が「皇室の専用紋」として厳格に法制化された一方、桐紋は皇室の寛大な配慮により独占禁止の指定を受けませんでした。その結果、明治政府は五七の桐を太政官の公印や国家公式の紋章として引き継ぐことになります。戦後もこの伝統は堅持され、2003年の小泉純一郎内閣以降は首相会見の演台にアクリル製の五七桐花紋プレートが常設されるなど、名実ともに日本政府のシンボルとして定着しました。

斉藤 蓮
著者

斉藤 蓮

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。