義家弘介氏の歩みは、日本の教育界・政界においても極めて特異な軌跡を描いています。長野県で生まれ育ち、高校時代に退学処分を受けた義家氏は、全国から中退生や不登校生を受け入れていた北海道の北星学園余市高校に編入。恩師たちとの出会いを通じて更生を果たしました。
高校卒業後は明治学院大学法学部へ進学して教職課程を履修。卒業後は長野県内の予備校講師などを経て、1999年に母校である北星学園余市高校の教師として赴任しました。教え子たちと全身全霊で向き合う指導スタイルはテレビの全国特番で大きく取り上げられ、手記を基にした著書『ヤンキー母校に帰る』『不良少年の夢』はベストセラーを記録。社会現象を巻き起こしました。
教育界での知名度と歯に衣着せぬ発言力に着目した当時の安倍晋三官房長官らの後押しを受け、2005年に横浜市教育委員会教育委員に就任。第1次安倍内閣では内閣官房教育再生会議の担当室室長に抜擢され、2007年の参議院議員選挙で自民党から出馬し初当選を果たしました。
その後、2012年には衆議院議員へ鞍替えし、神奈川16区(相模原市・厚木市など)で小選挙区勝利を重ねます。第3次安倍内閣では文部科学副大臣、菅内閣では法務副大臣を務めるなど、自民党内の教育・法務政策を牽引する中枢議員としての地位を確立していきました。