国会での質疑や組織委員会の重責を担っていた時期、橋本聖子氏の私生活は分刻みのスケジュールで埋め尽くされていました。その中で、子供たちは家庭環境をどのように受け止めていたのでしょうか。
地元支援者や元秘書らによると、永田町の議員宿舎や自宅周辺で見られた橋本氏の姿は、冷徹な政治家ではなく「徹底した現場主義の母」そのものでした。どれほど多忙であっても、子供たちの試合会場や遠征先には可能な限り早朝から駆けつけ、一般の保護者に混ざって声援を送る姿が目撃されています。
特に長女・聖火さんの馬術競技大会では、母自身が冬・夏あわせて7回ものオリンピックに出場したトップアスリートであるからこそ、勝敗の厳しさやスランプに苦しむ娘のメンタルを深く理解し、過度な口出しをせず静かに見守る姿勢を貫いていたといいます。現場の競技関係者はこう証言します。
「橋本先生は、競技会場に来られても決してVIP席に座るようなことはせず、他の親御さんと一緒に泥にまみれながら馬の手入れを見守っておられました。娘さんも『母の威光』を笠に着るような素振りは微塵もなく、誰よりも早く厩舎に入って黙々と作業する礼儀正しい選手でした」
連れ子の長男・姉たちも、実子の妹・弟たちの面倒をよく見ており、家族全員で支え合う連帯感が形成されていたことが窺えます。「政治家家庭の子供」という重圧に押し潰されることなく、一人ひとりが自分の足で立つ強さを育めた背景には、家庭内におけるフェアプレー精神の共有がありました。