Q1:三木の干殺しと鳥取の飢え殺しの違いは何ですか?
A1:三木合戦は約1年10ヶ月におよぶ長期戦であり、毛利軍による補給ルートの維持と秀吉軍による遮断のせめぎ合いでした。一方、鳥取の飢え殺しは約3ヶ月半の短期戦です。秀吉は三木での長期化を教訓に、鳥取城攻めでは事前に城下の米を高値で買い占めて備蓄をゼロにし、さらに周辺の農民を城内に追い立てて人工的な食糧難を意図的に作り出しました。
Q2:なぜ別所長治は早い段階で降伏しなかったのですか?
A2:叔父である別所吉親ら強硬派の意見が強く、名門としての誇りから織田軍門に下ることを拒んだためです。また、西国の雄・毛利輝元の水軍による兵糧搬入作戦が一部成功していた時期があり、「持ちこたえれば毛利の本隊が救援に来る」という希望的観測を捨て切れなかったことが長期化の要因となりました。
Q3:現在の三木城跡は見学できますか?遺構の見どころは?
A3:兵庫県三木市の「上の丸公園」として整備されており、自由に見学可能です。本丸跡には別所長治の銅像や歌碑が立ち、城内には抜け穴伝説の残る「かんかん井戸」などの遺構が残されています。また、秀吉が本陣を置いた平井山ノ上付城跡など、周辺の包囲陣地跡も国の史跡に指定されており、当時の包囲網のスケールを現地で体感できます。