日本人の生活に何百年間も定着していた数え年は、なぜ現代の公生活から姿を消したのでしょうか。その歴史の背景には、明治維新と太平洋戦争後の混乱という2つの大きな社会変動がありました。
法的な第一歩となったのは、明治35年(1902年)に公布された「年齢計算ニ関スル法律」です。近代国家としての体裁を整え、欧米諸国との法的な整合性や条約締結をスムーズにするため、政府は出生日を起算日とする満年齢の方式を公的な基準として定めました。しかし、長年の風習は法律一つで簡単には変わりません。市井の人々の暮らしや学校、地域社会では、依然として数え年で年齢を語り合う日常が戦後まで続いたのです。
決定打となったのは、終戦から間もない昭和25年(1950年)1月1日に施行された「年齢のとなえ方に関する法律」です。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の統治下にあった当時の日本は、深刻な食糧難に見舞われていました。主食である米などの配給制度において、数え年を用いていると「生まれたばかりの乳児」と「満1歳近くの子ども」が同じ数え年2歳として扱われ、正確な配給計算に重大な不公平や破綻が生じたのです。
当時の衆議院法務委員会の国会審議録を調査すると、政府側は法案提案理由として「国際社会への復帰に伴う外交・通商上の要請」「社会保障や統計調査の近代化」「配給事務における公平性の担保」を強く訴えていました。さらに「数え年は合理的な思考を阻害し、非科学的である」という当時の近代化論争も加わり、地方公務員や学校教育を通じて満年齢への是正キャンペーンが強力に推し進められました。その結果、わずか1〜2世代の間に日常生活の会話から数え年が急速に姿を消していったのです。