「月下美人」という詩情に満ちた日本語の名称は、一体どのようにして誕生したのでしょうか。その歴史的ルーツは中南米の熱帯雨林から台湾、そして日本へと渡った劇的な伝来ルートにあります。
月下美人の原産地は、メキシコ南部から中米(グアテマラ、ホンジュラス、コスタリカなど)にかけて広がる熱帯雨林です。ジャングルの大木に着生し、樹冠の隙間から差し込むかすかな光と雨水を利用して生き延びてきた植物でした。これが大航海時代以降に欧州へ持ち込まれ、その後アジア圏へと普及していきます。
日本へ公式に導入されたのは大正時代(1920年代前後)のことです。命名の由来に関して、昭和初期の園芸史や台湾総督府関連の記録資料には、極めて興味深い歴史的エピソードが残されています。
当時、台湾総督を務めていた田健治郎氏が、台湾の地で夜間に見事に開花したこの花を大正12年(1923年)、皇太子時代(後の昭和天皇)の東宮殿下に謁見の折に献上しました。その際、殿下から「この美しい花の名は何か」と下問された総督が、「月明かりの下で咲く息を呑むような麗人」という意味を込めて、その場で『月下美人』と奏上したという説が有力な伝承として語り継がれています。
学問的・文学的な教養と現場の機転が融合したこの命名は瞬く間に広まり、原産地中米の野性味あふれる着生サボテンは、日本において「一夜の逢瀬を象徴する高嶺の花」として特別な文化的地位を確立しました。