滋賀県の県庁所在地はなぜ大津市?彦根ではない衝撃の理由と歴史の真相

滋賀県の県庁所在地はなぜ大津市?彦根ではない衝撃の理由と歴史の真相

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滋賀県の成立プロセスにおいて避けて通れないのが、彦根県と大津県の統合経緯です。1871年(明治4年)の廃藩置県直後、現在の滋賀県域は単一の行政区ではなく、複数の県に細かく分断されていました。

北東部では譜代大名筆頭であった井伊家の彦根藩を母体とする「彦根県」が設置され、周辺の小県を統合して「犬上県(県庁:彦根)」が発足しました。一方、南部では旧幕府直轄地などを集約した「大津県」が立ち上がり、1872年(明治5年)1月に「滋賀県」へと改称されます。そして同年9月、犬上県が滋賀県へ編入される形で、現在の滋賀県域が一本化されました。

当時、石高30万石を誇る城下町として栄えた彦根は、都市規模や人口において大津を凌ぐ勢力を持っていました。それにもかかわらず、なぜ県庁が彦根ではなく大津に置かれたのか。そこには明治維新と県庁移転の真相に関わる政治的力学が存在します。

江戸幕府の大老・井伊直弼を輩出し、幕府権力の象徴であった彦根藩の城下町に新政府の地方拠点を置くことは、維新を主導した新政府にとって政治的リスクを伴いました。対して大津は、江戸時代を通じて幕府直轄の「大津代官所(大津奉行所)」が置かれていた公儀の街であり、特定の藩閥色が薄く、官吏の受け入れ態勢が整っていました。政治的中立性と統治の円滑化という観点からも、大津への一本化は新政府にとって必然的な帰結でした。

山田 真由
著者

山田 真由

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