二代目若乃花の波乱万丈|初代との確執と離婚理由・死因の真実

二代目若乃花の波乱万丈|初代との確執と離婚理由・死因の真実

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青森県南津軽郡大鰐町出身の二代目若乃花(本名・下山勝則)は、中学卒業後に「土俵の鬼」と呼ばれた初代若乃花が率いる二子山部屋へ入門しました。入門時の四股名は若三杉寿晃。端正な顔立ちと、右四つからの鮮やかな下手投げや俊敏な足腰を武器に、瞬く間に土俵の主役へと駆け上がります。

1977年5月場所で初優勝を飾り大関へ昇進。翌1978年5月場所で2度目の優勝を果たすと、師匠の現役名である「若乃花」の四股名を継承し、第56代横綱に推挙されました。師匠の看板と伝統を一身に背負ったプレッシャーの中、幕内最高優勝4回、通算512勝を記録。強豪ひしめく昭和の大相撲界で、気品ある相撲スタイルは多くのファンを魅了しました。

しかし、肝臓疾患や怪我に苦しめられたこともあり、1983年1月場所、29歳という若さで惜しまれつつ現役を引退。引退後は年寄・間垣を襲名し、親方としての新たな道を歩み始めました。

前田 葵
著者

前田 葵

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。