青山隼のサッカー人生は、日本サッカー界の王道をひた走るエリート街道そのものでした。名門・浦和レッズユースで頭角を現し、高身長を生かした空中戦の強さと的確なカバーリング能力、さらにはボランチとして長短のパスを散らす戦術眼を兼ね備えた逸材として早くから各年代の日本代表に選出されていきます。
彼の名を一躍全国区へと押し上げたのが、2007年にカナダで開催されたFIFA U-20ワールドカップです。調子乗り世代と称されたこのチームは、ピッチ内外で型破りな明るさと確かな実力を発揮し、世界を相手にベスト16進出を果たしました。青山隼はチームの守備の要として、ピッチ中央で泥臭く身体を張り続ける不可欠なピースでした。
プロ入り後は名古屋グランパスの選手層の厚さに苦しみ、愛媛FCや徳島ヴォルティスへの移籍を経験しましたが、特に徳島ヴォルティスでの貢献度は絶大でした。クラブ史上初となるJ1昇格を掴み取った2013年シーズンの気迫あふれるプレーは、今なお鳴門・大塚スポーツパーク ポカリスエットスタジアムのサポーターの間で語り草となっています。