太平洋戦争末期、米軍は日本の主要都市に対する絨毯爆撃を本格化させていました。東京、大阪、名古屋などの大都市に続き、1945年6月中旬からは地方中核都市への攻撃が激化します。その中で計画されたのが、作戦任務第209号に基づく福岡市街地への夜間無差別焼夷弾攻撃でした。
1945年6月19日午後11時14分、突如として空襲警報が鳴り響く中、米陸軍航空軍第21爆撃集団所属のB29爆撃機(約221機規模)が福岡上空に侵入。約2時間にわたり、油脂焼夷弾(M69など)約1,300トン以上が住宅密集地へ容赦なく投下されました。
福岡が標的となった背景には、単なる地方都市にとどまらない戦略的重要性が存在していました。公式記録や戦後の米軍作戦解析資料によると、以下の軍事・兵站上の要因が決定打となったことが判明しています。
- 大陸への兵站・海上交通の玄関口:博多港は朝鮮半島や中国大陸を結ぶ軍事輸送・補給の中継基地として機能していたこと。
- 九州の行政・鉄道網の中枢:九州全域の統制を担う政治・通信機関が集中し、鹿児島本線をはじめとする鉄道網の要衝であったこと。
- 心理的打撃と戦意喪失作戦:木造家屋が密集する博多部を焼き払うことで、地域住民の生活基盤を奪い、継戦意思を根本から砕く無差別爆撃方針が取られたこと。