大海原を泳ぎながら脳を休ませるメカニズムについて、近年の海洋生物生理学は劇的な進展を見せています。注目を集めているのが、イルカやクジラ、渡り鳥などが実践している「半球睡眠(Unihemispheric sleep)」との共通性です。
半球睡眠とは、右脳と左脳を交互に眠らせる驚異的な能力です。例えば右脳が眠っているときは左目が閉じ、覚醒している左脳と右目で周囲を警戒し、最低限の姿勢制御を行います。一定時間が経過すると今度は左脳を眠らせ、右脳を起こします。これによって、個体としては一度も意識を完全に失うことなく、脳組織の休息と修復を達成できるのです。
生きたマグロの頭部に電極を取り付けて外洋で脳波をリアルタイム測定することは技術的に極めて困難ですが、近年のバイオロギング(小型発信機を用いた生体追跡)や高感度赤外線カメラによる解析により、睡眠中のマグロには以下のような神経生理学的特徴が見られることが明らかになってきました。
- 代謝と心拍数の急激な低下:睡眠巡航に入ると、エラを通過する水流が減速するにもかかわらず、酸素消費量と心拍数が大幅に低下し、生体が明確な省エネ状態に移行する。
- 脊髄反射レベルのオートパイロット:大脳皮質の関与を最小限に抑え、魚類特有の「中枢パターン発生器(CPG)」と呼ばれる脊髄神経回路が自律的にヒレの微細な振動を制御している。
- 感覚閾値の上昇:光や微弱な水流変化に対する反応が昼間よりも鈍くなり、外部からの刺激に対して一時的に鈍感になる「睡眠特有の行動学的閾値」が確認される。
完全な半球睡眠を行っているのか、あるいは脳幹部だけを残して大脳全体をごく浅く休ませているのかについては現在も国際的な研究グループによる追跡が続いていますが、「脳の司令塔を半分休眠させながら、自動操縦機能で前進を続ける」という精巧なシステムが確立されていることは間違いありません。