葛飾北斎の代表的艶本『喜能会之故真通(きのえのこまつ)』の中巻きに収載された本作は、波打ち際で気絶寸前の恍惚状態にある海女と、大小2匹の蛸が絡み合う緊迫した構図が特徴です。大蛸が下腹部に吸盤を吸い付かせ、小蛸が口元に吸盤を伸ばして口づけを交わす描写は、一見すると怪異や暴力的な情景にも見えます。しかし、画面全体を注意深く観察すると、そこには苦痛ではなく圧倒的な快楽と官能美が横溢しています。
北斎がこのモチーフを描いた最大の理由は、当時の浮世絵界における「究極のエロティシズムの追求」と「生命力の具現化」にありました。江戸時代後期の文化年間、春画は単なる好色本にとどまらず、最先端の印刷技術と絵師のデッサン力が競い合われる芸術的分野でした。北斎は、骨のない軟体動物である蛸の伸縮自在な触手を用いることで、人間の男性では不可能なアングルと密着度を画面上に構築したのです。
作中にびっしりと書き込まれた戯作風のト書き(詞書)には、蛸が海女を気遣いながら愛撫を尽くすユーモラスな台詞と、海女が甘い吐息を漏らす様子が克明に記されています。北斎が意図したのは恐怖やグロテスクではなく、異界の生物との交感を通じた「究極の快楽のファンタジー」でした。