佐野浅夫が水戸黄門第22部(1993年5月放送開始)で3代目の水戸光圀役に就任した当時、テレビ界や時代劇ファンには少なからず驚きが広がりました。劇団文学座の創立メンバーの一人であり、戦後演劇・映画界を支えてきた佐野浅夫の経歴において、それまで演じてきた役柄の多くは冷酷な悪代官、一癖ある町名主、あるいは泥臭い庶民の父親といった「強烈な脇役」だったからです。
TBSと制作会社C.A.Lのアーカイブ記録によると、佐野浅夫は水戸黄門の過去シリーズにおいて、ゲスト俳優として通算10回以上も出演していました。しかもその役どころの多くが悪徳商人や悪代官、あるいは悲哀に満ちた農民であり、光圀に成敗される側の立ち位置を幾度も演じてきたのです。そんな「善悪を知り尽くしたバイプレイヤー」に白羽の矢を立てたのが、長年プロデューサーとして番組を牽引した名物プロデューサー・逸見稔でした。
当時、2代目の西村晃が体調不良を理由に降板を申し出た際、後継者選びは難航を極めました。初代の東野英治郎が築いた「豪放磊落で農民のような野性味」、2代目西村晃の「知性派で切れ者、どこか妖怪めいた怜悧さ」に対抗し得る新しい黄門像が求められていたのです。逸見プロデューサーが自著や当時の取材で明かしたところによると、佐野浅夫を指名した決め手は「土の匂いがする優しさと、底辺の苦しみを知る本物の庶民性」でした。名君として君臨するのではなく、名もなき民と同じ目線で怒り、哀しみ、手を取り合える人物として、佐野浅夫の刻み込まれた皺と温かい眼差しこそが時代に必要とされたのです。