タピオカミルクティーを語る上で避けて通れないのが、「一体どちらが最初に生み出したのか」という元祖論争です。台湾国内では長年にわたり、台中に本拠を置く「春水堂(チュンスイタン)」と、台南発祥の「翰林茶館(ハンリンチャグァン)」という二大老舗の間で、台湾タピオカミルクティー発祥を巡る激しい主張の対立が繰り広げられてきました。
春水堂側の証言によると、創業間もない1987年、同店の女性商品開発部長であった林秀慧氏が、市場で購入した台湾の伝統菓子「粉圓(タピオカパール)」を、遊び心でアイスミルクティーに注ぎ入れたのが始まりとされています。社内での試飲を経て正式メニュー化されると、滑らかな舌触りと独特のモチモチした食感が瞬く間に台中市民を虜にしました。春水堂タピオカミルクティーは、西洋のシェイカーで急冷したお茶文化と台湾の屋台スイーツが融合した傑作として、今日まで語り継がれています。
一方、翰林茶館の創業者である涂宗和氏は、1986年に台南の鴨母寮市場で白く透き通った粉圓を見かけた際、これを煮込んで冷茶に入れたことで着想を得たと主張してきました。当初は白いタピオカを使用していたことから「珍珠(真珠)」と名付け、後にカラメルで着色した黒タピオカ(黒珍珠)を開発したとしています。
この台湾珍珠奶茶元祖真相を巡る争いは、単なるPR合戦にとどまらず、特許出願や商標権の帰属を巡って裁判所へ持ち込まれ、実に10年もの長きにわたり法廷で争われる事態へと発展しました。最終的に裁判所が下した司法判断は、「珍珠奶茶は特定の個人や企業が独占できる新規発明ではなく、台湾の豊かな食文化から生まれた公の財産である」という趣旨のものでした。特許権の排他的な独占は退けられ、双方が独自の歴史を持ち寄った先駆者として認められたのです。この判決以降、争いは落ち着き、双方が台湾を代表する文化の担い手として共存する道を歩んでいます。