法廷において、検察側は「人命を金儲けの道具とした冷酷非道な犯行であり、万死に値する」と木村修治に対して死刑を求刑しました。弁護側は自首の成立や情状酌量を訴えましたが、一審の名古屋地裁、二審の名古屋高裁ともに死刑を選択。1987年(昭和62年)7月、最高裁判所が上告を棄却したことで、名古屋女子大生事件 判決は正式に死刑として確定しました。
確定後、名古屋拘置所に収容された木村はキリスト教に入信し、洗礼を受けました。獄中では自らの罪の重さと向き合う手記や短歌を書き残し、支援者を通じて出版された自著『死刑の現在』などでは、「取り返しのつかない罪を犯した」「被害者とその遺族にどれほど詫びても詫びきれない」といった贖罪の言葉が綴られました。しかし、どれほど加害者が悔悟の念を示そうとも、突如として理不尽に未来を奪われた名古屋女子大事件 被害者の無念と、愛娘を失った遺族の深い悲痛が癒えることはありませんでした。
1995年(平成7年)12月21日、名古屋拘置所において木村修治の死刑が執行されました。事件発生から15年、最高裁の確定判決から8年余りの歳月が流れた冬の朝のことでした。