俳優としてキャリアの浮沈を経験していた宮川一朗太ですが、家庭生活においても過酷な試練に直面していました。1990年にフリーライターの女性と結婚し、2人の娘を授かりましたが、結婚生活15年目を迎えた2005年に離婚が成立しています。
当時、離婚理由として週刊誌などで取り沙汰されたのは、生活感のすれ違いや宮川一朗太の多額の趣味費用、家計を巡る意見の対立などでした。しかし、何よりも世間を驚かせたのは、「父親である宮川一朗太が親権を持ち、娘2人を引き取る」という決断を下した点です。日本の家庭裁判所における親権帰属の実態において、母親が親権を得る割合が全体の8割以上を占める中、現役俳優が小学生と中学生の娘を男手ひとつで育てるシングルファーザーの道を選ぶことは極めて異例の選択でした。
宮川一朗太は朝5時に起きて娘たちの弁当を作り、学校行事に参加しながら、生活費と学費を稼ぐためにどんな小さな仕事も断らずに駆け回る日々を送りました。思春期特有の反抗期や、母親がいない寂しさに直面する娘たちと時に激しく衝突しながらも、「どんなことがあっても娘たちを見捨てない」という強い意志で父子家庭を守り抜いたのです。
さらに多くの人々の胸を打ったのが、離婚から長い年月が経過した後に訪れた「元妻の看取り」の事実です。2020年代にメディアの手記(Chanto Webなど)で明かされたところによると、元妻が末期がんに侵されていることが判明した際、宮川一朗太は複雑な葛藤を抱えながらも、娘たちの「お母さんを助けたい」という願いに背中を押され、彼女を自宅に迎え入れる決断を下しました。
「年が明けて1月くらいまでは、まだ元気で、『久しぶりだね』『大丈夫か』と、ふつうに会話ができていました。でも、あるとき『私はダメかもしれないから、子どもたちをよろしくね』と、ふと弱音を漏らしたんです。思わず『何言ってるんだ』と…」
法的な夫婦関係はすでに解消していたものの、子どもたちにとっては掛け替えのない実母であるという現実。宮川一朗太は娘たちと共に元妻の介護に奔走し、住み慣れた自宅の温もりの中で彼女の最期を家族全員で看取りました。形式的な契約や過去の遺恨を超越したこの決断は、真の意味での「家族の責任と愛」を体現したエピソードとして、今なお多くの共感と敬意を集めています。