「なぜ昔のランドセルは男子が黒、女子が赤の2色だけだったのか」という疑問に対し、学校や文部省(現・文部科学省)の校則で厳密に指定されていたと誤解している人は少なくありません。しかし公式資料やランドセル工業会の記録をいくら調べても、国や行政が色を指定した法的な規定は存在しませんでした。2色体制が固定化した背景には、極めて現実的な産業上の都合と社会的規範が絡み合っています。
最大の理由は、当時の皮革加工における染色技術の制約です。昭和30〜40年代の天然皮革(牛革や豚革)は、現代のように鮮やかで色ムラのないパステルカラーに染め上げる技術が確立されていませんでした。革の傷やシワ、血筋を隠し、紫外線や風雨に耐えうる耐久性を維持するためには、最も顔料の定着が良い「黒」と、顔料の隠蔽力が高い「赤」を採用するのが工業製品として最も合理的だったのです。
さらに高度経済成長期における大量生産の要請がこれに拍車をかけました。限られた2色だけに絞り込んで生産ラインを24時間稼働させれば、劇的なコストダウンと品質の均一化が図れます。そこに当時の「男子は勇ましく、女子は淑やかに」という固定的な性別役割分担意識が結びつき、メーカーも販売店も疑うことなく黒と赤の2色を大量供給し続けました。選択肢が存在しなかったのではなく、技術的・経済的・社会的な必然性によって、半世紀にわたり2色に絞り込まれていたというのが歴史の真相です。