高校時代の山本由伸を語る上で欠かせないのが、急激に進化を遂げたストレートの質と球速です。2年秋の九州大会時点で既に最速151km/hを計測しており、地方球場に集まったスカウトのスピードガンをざわつかせました。
当時から山本のフォームは一般的な高校球児とは一線を画していました。力任せに腕を振るのではなく、胸郭と股関節を連動させ、鞭のようにしなる腕の振りから放たれるボールは、回転数・初速と終速の差の少なさにおいて既にプロの基準を凌駕していました。
ここで重要な役割を果たしたのが、当時の都城高校を率いていた恩師・森松孝容監督の指導方針です。森松監督は山本の天性の柔軟性と合理的な体の使い方を高く評価し、無理に既存の型へ当てはめるようなフォーム指導を行いませんでした。「余計な手を入れて長所を殺してはならない」という指導陣の慧眼があったからこそ、山本独自のナチュラルかつ負担の少ない投球メカニクスがそのまま保持されたのです。