久能山東照宮を語る上で避けて通れないのが、「日光東照宮との違い」と「家康の遺骨はどちらにあるのか」という長年の謎です。観光客の間でも「遺体は日光に移されたのではないのか」「久能山には何が残されているのか」という疑問が今なお後を絶ちません。
結論から言えば、久能山東照宮は「家康の神格化された遺骸が埋葬された原初の墓所」であり、日光東照宮は「関八州と日本全土を上空から見守る国家鎮護の総本山(神霊の座)」という性格の違いを持っています。
遺言にある「一周忌を経て日光山へ勧請(かんじょう)せよ」という一節の解釈を巡り、歴史研究者の間では主に二つの説が長年議論されてきました。
現在、久能山東照宮の宮司や現地の古老の間で語り継がれている見解、ならびに多くの文献史学者の考察によれば、「遺骸は今も久能山の神廟に眠り、日光には魂(神霊)が分祀された」という説が極めて有力視されています。神道において「勧請」とは、神仏の分霊を迎える儀式を指し、肉体の移動を必須としません。また、当時の過酷な輸送条件を考慮しても、土葬された棺を掘り起こして日光まで数百キロメートル運んだ明確な詳細記録が存在しないことからも、久能山こそが家康の「実体」が眠り続ける唯一無二の場所であるという誇りが現地に息づいています。