九州説において、現在最も『魏志倭人伝』の描写に近いと専門家の間で議論されているのが、福岡県久留米市に位置する祇園山古墳です。高良山山麓に築かれたこの方墳は、3世紀中頃という卑弥呼の没年(248年頃)と時期が完全に合致しています。
祇園山古墳が卑弥呼の墓の最有力候補とされる理由は、主に以下の3点に集約されます。
- 墳丘の規模:一辺約24〜28メートルの割石積方墳であり、短里換算(1歩=約30〜40cm)による「径百余歩(約30〜40メートル前後)」の規模感に酷似している。
- 殉葬の痕跡:墳丘の周囲から数十基に及ぶ木棺墓や土器が一括して検出されており、文献に記された「徇葬する者奴婢百余人」を想起させる埋葬形態を持つ。
- 前方後円墳以前の伝統様式:ヤマト王権主導の前方後円墳とは異なり、北部九州の弥生墓制の延長線上に築かれた純粋な地域首長の墓である点。
畿内型古墳のような定型化された前方後円墳ではなく、独自の方形墳丘墓として築かれている点こそ、邪馬台国が九州に独立して存在していた証拠であると論理づけられています。