「後三年」という名称は、日本の元号ではありません。この特異な駅名は、今から900年以上前の平安時代後期、永保3年(1083年)から寛治元年(1087年)にかけて戦われた「後三年の役(後三年合戦)」に直接由来しています。
東北地方の支配権を握っていた豪族・出羽清原氏の内紛に、陸奥守として赴任してきた源義家(八幡太郎義家)が介入。清原武衡(たけひら)・家衡(いえひら)と、源義家・藤原清衡(後の奥州藤原氏初代)の連合軍が激突した古代末期の最大級の戦乱です。その最終決戦の地となったのが、現在の秋田県横手市金沢から仙北郡美郷町飯詰にかけての丘陵地「金沢柵(かねざわのさく)」でした。
先行して起きた「前九年の役(1051〜1062年)」に続き、足かけ3年にわたる激しい攻防戦が繰り広げられたことから、後世に「後三年の役」と総称されるようになりました。1921年(大正10年)12月12日、鉄道省(現・JR東日本)がこの地に奥羽本線の新駅を開設する際、駅が古戦場の玄関口にあたることから、地名ではなく歴史事象そのものを採用して「後三年駅」と命名されたのです。全国に数千ある鉄道駅の中でも、歴史上の合戦名がそのまま単独で駅名として採用された事例は極めて稀です。