六ヶ所村の歴史を語る上で、反対運動の存在を無視することはできない。六ヶ所村内にも反対派住民は存在し、1980年代の誘致決定時から一貫して反対を訴えてきた。さらに、青森県内外からは環境団体や市民グループが六ヶ所村に足を運び、施設の危険性を指摘してきた。2001年には、再処理工場の安全性を問う訴訟が起こされ、原告団には六ヶ所村を含む青森県内外の住民が参加した。裁判では安全性を認めない判断こそ出なかったものの、再処理工場の「リスクの大きさ」を司法の場で問うた意義は小さくない。
また、2011年の福島第一原発事故後は、再処理工場の立地する六ヶ所村にも津波の到達が懸念されることが改めて注目された。日本原燃は防潮堤のかさ上げや非常用電源の強化など追加対策を進めたと公式発表しているが、反対派や専門家からは「想定の甘さ」を指摘する声が上がり続けている。さらに、再処理工場で過去に起きたトラブルの数は、日本原燃の公表資料をもとに集計すると、1990年代から累計で数十件に上る。火災報知器の誤作動や放射性物質を含む水の漏えいなど大小さまざまだが、こうした事故・トラブルの蓄積が住民の不安を増幅させてきたのは間違いない。