絶大な人気を誇りながら、なぜB.B.クイーンズは1992年に表舞台から姿を消したのでしょうか。ネット上では「不仲説」や「金銭トラブル」といった根拠のない憶測が飛び交うこともありますが、実際の活動休止の理由は「各メンバーのキャリアにおける必然的な発展」にありました。
第一に、B.B.クイーンズは最初から「企画ユニット」として集められた職人集団でした。坪倉唯子氏も近藤房之助氏も、それぞれが確立されたソロアーティストであり、スタジオミュージシャンとしての本業を抱えていました。
第二に、コーラスを担当していた宇徳敬子氏らのユニット「Mi-Ke」が1991年に単独デビューを果たし、第33回日本レコード大賞で最優秀新人賞を受賞するなど、爆発的な人気を獲得したことが挙げられます。Mi-Keの多忙化に伴い、B.B.クイーンズとしてのスケジュールを確保することが物理的に困難になりました。
さらに、1992年から1993年にかけてビーイングは、B'z、ZARD、WANDS、T-BOLAN、大黒摩季氏らを擁する空前の「ビーイングブーム」の絶頂期に突入します。制作陣・ミュージシャン陣が総出で各アーティストの楽曲制作とレコーディングに追われる中、B.B.クイーンズはその歴史的役割を全うし、解散宣言をすることなく自然な形で「活動休止」へと移行したのです。
活動休止までの間にも、日本テレビ系『はじめてのおつかい』のテーマソングとして親しまれた「ドレミファだいじょーぶ」や「ギンギラパラダイス」など、時代を彩る名曲を世に送り出しました。