複合災害への対応を迫られた菅直人首相(当時)と日本政府の苦闘は、政治史において類を見ない試練であった。官邸内の意思決定ラインは混迷を極め、現場からの情報不足と科学的知見の錯綜が混乱を加速させた。首相自ら福島第一原子力発電所へ突入した判断については、後に激しい賛否両論を巻き起こすことになる。
政治主導を掲げた政権が、未曽有の危機において官僚機構とどのように対峙し、あるいは機能不全に陥ったのか。極秘の議事録や後年の証言を検証すると、官邸と東京電力、そして防衛省や米軍との間で行き交った情報には、数多くの深刻なノイズとギャップが存在していた。危機管理の現場におけるコミュニケーションの不全は、国家のリーダーシップがいかに透明性と迅速性を両立させるべきかという、現在にも通じる重い課題を突きつけている。