五箇条の御誓文が発布されたのは、元号が明治へと改元される直前の慶応4年3月14日(1868年4月6日)のことです。場所は京都御所の紫宸殿。わずか16歳だった明治天皇が、公家や諸侯(大名)を従え、天地神明に対して誓いを立てる「神前誓約」という前代未聞の儀礼が執り行われました。
この日付は、日本史上きわめて重大な政治的意味を持っています。まさにこの日、江戸では勝海舟と西郷隆盛の会談によって江戸城無血開城が決定していました。旧幕府軍との鳥羽・伏見の戦いから始まった戊辰戦争はまだ東北・北越地方へと続く泥沼の様相を呈しており、誕生したばかりの明治新政府に対する求心力は決して盤石とは言えない状況でした。
国内の諸藩が「新政府に従うべきか、旧幕府につくべきか」と日和見を決め込むなか、新政府は「自分たちが目指す新しい国のかたち」を内外に鮮明に打ち出す必要に迫られていました。単なる権力闘争による政権交代ではなく、新しい理念に基づいた国づくりを行うという明治維新の基本方針こそが、この五箇条の御誓文だったのです。