石原詢子の音楽的ルーツを語る上で欠かせないのが、詩吟「揖水流(いすいりゅう)」の初代家元であった父親・源真照(雅号)氏の存在です。父の指導は妥協を許さず、詢子はわずか4歳から詩吟の英才教育を受け、12歳という異例の若さで師範代免許を取得しました。
しかし、思春期を迎えた彼女の心に芽生えたのは「伝統の詩吟ではなく、演歌歌手として自分の歌を届けたい」という強い夢でした。クラウンレコードのオーディションに合格したことを父に告げた瞬間、激しい怒りを買い、激服の末に「勘当」を言い渡される事態へと発展します。
18歳で単身上京した石原詢子は、仕送りも一切断たれた状態で、コンビニエンスストアや飲食店での深夜アルバイトを掛け持ちしながらレッスン費を稼ぐ極貧生活を送りました。1988年に『ホレたぜ乾杯』で念願のプロデビューを果たした後も、父からの連絡は途絶えたままでした。
転機が訪れたのはデビュー数年後のことです。体調を崩した父が密かに娘のコンサート会場へ足を運び、客席の隅から熱唱する姿を見守っていた事実が判明します。父は娘のプロとしての覚悟と成長を認め、涙ながらに和解。父の他界後、石原詢子は二代目「揖水流 詢風会(じゅんぷうかい)」家元を正式に継承し、父が遺した伝統芸能を次世代へ継ぐ重責を果たしています。